三重県の社会保険労務士法人ナデック

初回相談無料!まずはお気軽にナデックまでお電話ください。

三重県の労務問題、労使トラブル、行政対応、研修講師ならナデックへ。

059-388-3608
受付時間 10:00-18:00
HOME ナデック通信 「『女性差別はどう作られてきたか』について考える!」
a

ナデック通信

2021年
8月号

「『女性差別はどう作られてきたか』について考える!」

社労士事務所も繁忙期が終わって、先日、一年ぶりに勉強会を開催しました。
繁忙期直後となると、例年なら慰労会的なものを開催する事務所も多いでしょうし、勉強会のテーマとしては労働法や社会保険などが多いと思いますが、あえて「ジェンダー」を選んでみました。
今はメディアなどでも何かと話題が多い分野ですが、きちんと勉強している人は少ないのかもしれません。
具体的には、1人1冊の課題本を割り当て、各自その1冊を読み込んで、内容をまとめて簡単に自分の意見なども発表するというもの。旬なテーマをみんなで分かち合おうと始めた勉強会ですが、想像以上にメンバーの反応が良くて、盛り上がる会になりました。
メンバーそれぞれ1人1冊、そして私(小岩)は4冊ほどの本をまとめて発表しましたが、その中で特に全員の興味関心が一致した一冊をご紹介します。
中村敏子氏の『女性差別はどう作られてきたか』 (集英社新書) です。中村氏は、東京都職員を経て大学院で政治学を専攻されて、政治学者の道に進まれた方ですが、日本における「女性差別」というテーマについて、政治と文化の両面から、どの本よりも分かりやすく解説されています。
以下、当日のレジュメの一部から、本書の概要をご紹介します。
 

中村敏子著 『女性差別はどう作られてきたか』 (集英社新書)

・江戸時代の「家」における夫婦は一体ではなく、妻は独立性を持って職分を果たしていた。
・女性は結婚後も姓を変えることなく、「実家」におけるメンバーシップを保ち続けた。
・妻は結婚後も財産権を持ち、離婚したときは妻の実家に返還された。
・「女房」は家政を担当するマネージャーの役割を果たし、「当主」と共同経営者のような立場で分業活動をしつつ、夫婦が助け合いながら「家」(事業)を運営した。
・明治時代になって、小学校以外は男女「別学」の開始、「女戸主」の廃止、「良妻賢母」教育の推進がはじまった。
・「家」から男性たちが出て「月給取り」となっていったことで、「家」には妻と子どもが残され、女性は「家」における役割を縮小され、日常の家事と子どもの世話を担当するようになった。
・「配偶者」「恋愛」「家庭」という言葉が、明治になってはじめて使われるようになる。
・西洋近代に成立した「公的領域」と「私的領域」の分離、「近代家族」の成立。
・これからの時代の「3つのモデル」
①「世帯主モデル」・・・性別分業、女性が家事労働。日本、ドイツ。
②「性別中立モデル」・・・男女平等に働き、外部サービスの充実。アメリカ。
③「性別公平モデル」・・・男女平等に働き、家族生活にも関わる。スウェーデン、オランダ。

 
社労士は労働法を強みとしています。だから、働き方改革にも明るいし、ハラスメント対応の専門家でもあります。
これから施行される男性の育児休業などの啓蒙役でもあるはずです。
働き方改革もハラスメント対策も、その根底にあるテーマはジェンダー問題であり、さまざまな専門家による研究が進んでいます。
なのに、意外にも社労士はジェンダーについて今まであまり真正面のテーマとして取り組んでこなかったようにも思います。
そして、参加者全員が目から鱗だった論点がありました。
それは、「男性が主な働き手として家計を支え、女性が家事や育児を通じて家庭を担うという役割分担の歴史は、意外と新しかった」という点。この点には、みんなが驚きを隠せずにいました。
社労士事務所で、それなりに労働法などに触れている環境ですらこうですから、おそらくこの手のものの見方は広く私たちの脳みそにこびり付いているのかもしれません。
 
私はかつて少し歴史学をかじっていたので若干の予備知識がありましたが、やはりみんなの反応に驚きました。
均等法とか育児介護とか同一労働同一賃金とかハラスメントについて考える前に、歴史の「前提」も大事だなと心から感じました。
私たちは雇用とか労働をテーマにしながら、男女の役割分担についてはかなり盲目的な視点にとどまっていると思います。
男女平等、女性活躍推進、働き方改革、同一労働同一賃金とスローガンはたくましく駆け巡っていますが、いまだに男性は仕事中心、女性は家庭中心という発想から完全には抜け出ていない人が多いようにも感じます。
 
夫が外に出て仕事をして、妻が家にいて家庭を守るというスタイルは、江戸時代以前から日本の伝統だったと誤解している人も多いですが、それは完全に歴史の読み誤りだと中村氏は指摘します。
江戸時代の「妻」は現在以上に家庭の中で独立性のある存在で、封建時代とは似つかわしくない夫婦別産制で、なおかつ商家や農家においては夫婦が「家」の「共同経営者」なのでした。
信長の時代に日本を訪れたルイス・フロイスが日本人女性の社会的地位の高さに驚いたという逸話は有名ですが、近代以前の日本には封建制の中にもある種の先進性や平等性を内包していました。
 
そんな歴史の流れが屈折したのが明治維新後。文明開化とともに次第に日本版の産業革命が進展していく中で、西洋のスタイルにならって働き手である男性は「家」から切り離されて生産労働の場に専念するようになり、良妻賢母教育と扶養制度の浸透によって女性の「専業主婦」化が政策誘導されていきました。
前近代の日本においては典型的なサラリーマン(被用者)は武士階級(現在でいうところの公務員)でしたが、人口のわずか7%程度に過ぎない武士階級の論理を理念として全国民男性に適用しようとし、国が身分と報酬を保障することで国民皆兵化を進めていったのが、敗戦に帰結する男女の役割分担の流れだったといえます。
 
本書の最後で触れられている「3つのモデル」は、これからの時代の日本人の生き方や働き方を考える上で、いやがおうでも意識していかざるを得ない視点だと思います。
日本の「世帯主モデル」の老朽化が指摘され批判される時代ですが、果たしてアメリカ的な「性別中立モデル」がよいのか、スウェーデンやオランダの「性別公平モデル」がよいのか。労働法のあり方や年金制の今後と向き合う場面でも、ひとつの座標軸として頭の中に描いていきたいもの。
労働や社会保障について考える上で、「女性差別」という視点は大切ですが、その視野は今までかなり古典観念に縛られてはいなかったのか、過去を振り返って反省したいですね。「専業主婦」は日本古来の文化や制度ではなく、政策誘導によって社会経済的に創造されたシステム。だから、その本質は男性が「家」から分離して被用者として生産労働の場に従事するシステムと対になっている。
こんな歴史的な目線をしっかりと意識の中に下ろしながら、日々の業務に、これからの法改正に、そして未来の働き方や生き方と向き合っていきたいものです。