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ナデック通信

2019年7月号

「働き方改革」の本当の意味を考えよう!

「働き方改革」関連法が本格施行されて3か月。有給休暇や時間外労働などのテーマについて毎日のように相談がありますが、法改正の初期対応については落ち着いてきたように思います。

そんな中、多くの経営者や実務責任者の方から、こんな声を聞きます。

「“働き方改革”が大事なのは分かるが、法律が変わったからといって、ただこれを進めていくだけでは、会社は良くならないし、労働者も幸せにならないのでは・・・」

主に法律面の実務対応のサポートを担当する社労士としては複雑な思いですが、私もこうした声には基本的に賛成です。

働き方改革は、これからの日本の方向性がかかる国策として進められています。

少子高齢化が加速し、生産年齢人口がさらに減少する中で、労働生産性の向上や、待遇の格差の解消に取り組まなければ、日本の先行きが危ういというのは、ほとんどの人の意見が一致するところでしょう。

心身を疲弊させる長時間労働を抑制し、適度にリフレッシュする機会を増やすことで、仕事に向き合うモチベーションが向上し、ひいては業務効率の改善にもつながるというのは、頷ける話ではあります。

でも、大事なのは“その先”にどんな世界を描いているかです。

 

 

残業や休日出勤が減る。有給休暇を確実に取る。待遇の格差が是正される。これらによって、労働者は仕事から解放される時間が増え、労働から得る対価の単価も増える人が出てくるでしょう。

働く立場からすれば、自由に使える時間が増えたり、待遇が改善されていくのは理想といえるかもしれませんが、問題なのはその先です。

労働者が受け取る賃金の原資となるのは、当たり前ですが顧客等から受け取る報酬です。1時間あたりの賃金の単価を上げるためには、顧客を増やすか、報酬を引き上げるか、商品を多角化するしかありません。

長期的にみた場合、これらの対応が困難な企業においては、働き方改革による労務コストの上昇が経営を直撃し、最終的には人件費の削減を迫られるケースも出てくるだろうといわれます。

労働者のための働き方改革が、結果として(適法な)賃金の引き下げや整理解雇などの人員削減にもつながってしまうとしたら、あまりにも逆説的な展開であり、いったい何のための改革だったのかといわざるを得ないでしょう。

大企業など好景気によって内部留保が蓄積されている企業ではそういった心配は少ないでしょうが、圧倒的多数の中小零細企業では、今後の景気の先行きもあいまって、じわじわと経営環境を悪化させていくことも考えられます。

 

 

そこで、働き方改革には「生産性向上」が不可欠といわれます。

法律を守るコンプライアンス対策はあくまで入口なのであって、いかに業務の効率を高め、1時間あたりの生産性を向上させるかという、「生産性革命」をうたったコンサルティングが求められ、書店でもそういったノウハウを教える本が並んでいます。

社労士の立場から、もっぱら法務面の実務対応に徹した本を書いている私などは恥ずかしいかぎりですが、あくまで社会的な役割の違い、職責の違いといい聞かせています(笑)。

涙ぐましい努力と改善によって生産性の向上が実現すれば、働き方改革による労務環境の改善と経営体質の強化が矛盾なく併存することになり、文字通り労使双方にとって好ましい方向に導かれることになります。

ただ、ここで大きな疑問が出てきます。働き方改革の目的は、生産性の向上なのでしょうか?

そうだと考える人もいるでしょう。国が打ち出したプログラムである「働き方改革実行計画」でも生産性の向上はひとつの柱とされていますから、もちろん間違いではありません。

仮にそうだとすると、その延長線上に描かれる世界観とは、どんなものでしょうか?

働くときは、思いっきり働く。1時間の仕事で得られる成果が効率化できるよう、企業も労働者も最大限努力する。そして、1分でも早く帰宅し、1日でも多くの休みを取る。仕事に拘束される時間はできるだけ短くして、プライベートの充実をはかる。

こんなイメージでしょうか? 決して間違いとは思いませんが、何か違和感を覚え、幾ばくかの虚しさを感じるのは、私だけではないでしょう。

考えすぎかもしれませんが、この方向性の底流には、おそらくは“働くことは原罪”という西欧(キリスト教)文化の発想が(強弱はあるにせよ)流れているように思います。

こんな漠然とした感覚を、普段の業務の中でも多くの経営者や幹部の人たちの言動から感じ取っています。

 

 

もちろん、西欧的な発想もひとつのポリシーであり、参考にできる考え方を含んでいます。というより、そもそも働き方改革の法改正の議論自体が、そうした国々の制度や現状から示唆を得て進められてきたのが現実である以上は、逆にいえば自然だといえるのかもしれません。

ここで、表題の問いに立ち戻ります。「そもそも働き方改革の本当の意味って何なのでしょうか?」。

仕事から1分でも早く解放されて、休みを1日でも多く取って、プライベートの時間を少しでも増やして、できるかぎり多くの給料をもらうこと。

この発想には、経営者はもちろん、きっと多くの労働者の目線から見ても違和感がありますね。それは、典型的な日本人には、働くことは“原罪”という価値観はきわめて希薄だからです。

せっかく働くのだったら、少しでもまわりや社会のお役に立って、その仕事を通じて自分自身が成長していきたい。給料がいくらか、休みがどのくらいあるかはもちろん大事だけど、それが仕事の一番の価値ではない。

だれから教えられることがなくても、自然にこのように考える人が多いのではないでしょうか。

長い労働時間から解放されて、十分な休養が確保できれば、心身がリフレッシュされます。そうすることで、次の仕事に向けての英気が養われることになるでしょう。

でも、その目的はあくまで“次の仕事”です。少しドライないい方をすれば、十分に休みをとって心身を癒した以上は、その分だけ高い付加価値をもたらす仕事をすることが求められるということになります。

俗にいう“働き方改革”では、この部分についてあまり多くは語られていないと思います。

 

 

「働き方改革の本当の意味とは?」。それは、“働くこと”の本当の価値と向い、実践することだと思います。

毎日残業続きで、まったく有給も取れずに、適正な待遇が確保されていないのでは、心身は疲弊してしまうばかりで、およそ仕事の本当の価値と向き合うことはできません。

無理な残業をせずに、たまには有給をしっかり取って、正当な待遇を受けることの意味は、仕事は“原罪”だからそれからいち早く解放されることが正義だからではなくて、しっかり“自分”を持って仕事を向き合う余裕を持つためだということができるでしょう。

しばしば、ワーク・ライフ・バランスという言葉が使われますが、この表現には“働きすぎはいけない”という理念とともに、働く時間はできるだけ短い方がいい、プライベートの時間は長ければ長い方がいい、といった方向性が含まれているように感じます。

仕事を離れる時間をまとまって確保することの意味は、決して仕事から解放されること自体にあるのではなくて、仕事をさらに充実させていくための自分づくりを行うためにあると思います。

単に休養やリフレッシュといった機能にとどまらず、普段は接することのない文化や感性や人間関係などと触れあうことによって、自我の中心となる価値観を鍛え、生き方と向き合っていくことにもあるといえるでしょう。

その意味では、仕事かプライベートかという二分法は、ナンセンスだといえるかもしれません。

“働き方改革”が推進される中で本当に考えなければならないことは、仕事とプライベートを対立する概念と据えるのではなく、お互いが相補関係にあるという本質を見据えて、全体として人生の充実をはかっていくための確かな道のりを作ることだと思います。

そのための試行錯誤はまだ始まったばかりであり、令和元年がまさに“働き方改革元年”だといえるのではないでしょうか。

これからの歩みを注目していきたいものです。

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