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ナデック通信

2022年
9月号

メモリアルを祝うことの意味とは?

かなり早くから猛暑が続いた今年の夏ですが、お盆が終わると残暑も確実に落ちついてきましたね。朝夕がむしろ涼しく感じるとどこか心寂しい気がしますが、これから実りの秋に向けてしっかり歩を進めていきたいですね。

弊社社会保険労務士法人ナデックは、9月で創立20周年を迎えます。こんな大変な時期ではありますが、20年間の感謝の思いを込めてささやかな記念会を開催したいと考えています。時節がら規模と時間を縮小して、飲食なしという条件で開催する予定ですが、すでにさまざまな方々から参加表明をいただいていることに感謝しています。

ところで、10周年とか20周年といったメモリアルを祝うことの意味はどこにあるのでしょうか。弊社は10年前の10周年のときにもささやかな会を催しました。ゲスト講師を招いて弊社2名の共著の出版記念も兼ねて、たくさんの方々にご参加いただいたことが素晴らしい思い出になっています。

企業はゴーイングコンサーンを存在意義としていますから、ある意味10年、20年はまだ駆け出しの部類に過ぎません。「起業して3年続くのは・・・」といいつつも、街を歩いていれば10年、20年の会社はあふれるくらい存在します。50周年とか100周年のメモリアルならいざ知らず、駆け出しの身ながらに対外的にお祝い会をするというのは僭越なことだという気もします。

 

 

企業の労務管理でも、従業員に対して勤続表彰を実施している例もあります。15年とか20年ごとに賞状や記念品が贈られ、さらに勤続を重ねることで永年表彰などが行われることもありますが、これらは従業員の長年の勤務努力を労い、さらなる習熟と成長を目指す上でのモチベーションに資する制度だともいえるでしょう。

最近は人事評価制度でも、いわゆる実力主義に傾倒した成果給から、かつてのような年功主義の要素を盛り込んだ勤続給への回帰のモードが、かなり顕著にみられると実感します。もちろん個別の事情やポリシーにもよりますから、どちらが良い悪いの問題ではありませんが、勤続年数というファクターを前向きに評価しようとする傾向は確実に強まっています。

物事は多くの場合、定量的な要素と定性的な要素から成り立っています。今の例でたとえるなら、勤続年数は100%定量的です。成果や業績は基本定性的ですが、場合によっては一部定量的要素を含むと考えられます。定量的のメリットは、客観的であることです。勤続20年は、誰が務めたとしても同じ20年です。どれだけ優秀でも、入社10年の人が勤続20年にはなりません。

もちろんこれにはデメリットもあります。そんなに努力をしなくても、20年務めただけで評価されるような仕組みは、一生懸命に頑張っている若手のモチベーションを下げてしまうのでは。こんな声がさまざまな人たちから聞かれ、勤続給よりも本人の努力や実力が反映しやすい成果給の方が素晴らしいと叫ばれ続けたのが、少し前までの評価制度の実態でした。

ところが、このような常識を疑うことが、今ではむしろ常識になりつつあります。成果や業績がなぜ尊ばれるかといえば、いわずもがな営業成績や販売成績こそが企業に付加価値をもたらすからです。この事実は、否定することはできません。企業は、文字通り利益を生み出して、付加価値を創出することを第一義的な目的としているからです。

しかし、いわゆるスタッフ部門の業務に従事する従業員の成果や業績は容易に数字で評価することができないことが多く、無理に数字化することでかえって矛盾が顕在化してしまっ たり、いたずらに競争意識を高揚させることで逆にチームワークに悪影響をもたらしてしまう例も少なくありません。

また、営業部門や販売部門にしても、目下の目標を達成することが個人なりチームなりの成果に貢献することは認められるにしても、それが全社的な利益にどこまで貢献しているかを推し量るにはかなり複雑な分析が必要であり、さらには将来的な利益にどのように影響を持つかという点もいちがいには判断が難しいといえます。

実際、複数の従業員がみごとに目標数字を達成して最高の評価を受けたにも関わらず、なぜかその後の組織の利益体質はいっこうに固まらないという例は少なくありませんし、個人の成績を挙げることに邁進するあまりに周囲との連携や協調の視点が乏しくなってしまって、結果的に同じ部署やチームでつぶし合いが起こるという悲しい構図もめずらしくはありません。

 

 

人間が働くことの意味は、どこにあるのでしょうか。売上を上げて会社に貢献すること。与えられた職務を確実に完遂すること。上司の指示に忠実に職務に邁進すること。会社や個人の状況に相当に左右されることから、答えはもちろんひとつではないと思います。でも、あえてひとつ挙げるとするなら、「安定的・継続的に役割・責任を担っていくこと」ではないでしょうか。

今さら昭和の時代みたいと思うかもしれません。でも今の時代だからこそ、このようなポリシーが何よりも重要視されるのではないかと考えます。正社員であれば、通常は期間の定めのない雇用契約を締結しています。この意味は、長期間に渡る雇用が保障されているという側面と同時に、一年一年経験を積むことで確実にキャリアを向上させていくことが期待されているという側面も持ちます。

世の中には高度な技能や知識が必要とされる仕事がたくさんありますが、たとえば弁護士やプロ棋士のような知識と知恵の権化とも呼ぶべき存在ですら、AIが人間に代替する時代が迫っているといわれています。そんな中で人間でなければ通用しない仕事、代替されない役割とは何かといえば、ずばり人間しかなしえないリアルな経験値の蓄積だと思います。

その仕事を20年、30年やってきたら絶対にAIに負けないとはいえないけれども、逆にAIは純粋にその業務における経験値しか蓄積することはできず、近い将来、AIに人間の人格とも呼ぶべきものが宿ったにせよ、あえて無駄を踏んだり無理を重ねたり失敗を繰り返したりするようなバグと紙一重の設定はしないのではないでしょうか。

ここに人間ならではの魅力と醍醐味があるのではないかと思います。最近、「勤続年数を評価した人事制度を考えたい」という相談がいくつかあります。すでに勤続的な要素をなくしてしまった会社、今ある勤続給の仕組みの立て付けを変えたいという会社など実態はまちまちですが、間違いなく勤続年数を主な評価要素に据えたいと考える経営者が増えつつあると思います。

 

 

話しはもどって会社のメモリアルですが、若くして立ち上げた会社であったとしても、10年、20年と月日を経て、30年くらいの年輪を重ねると、次の時代を担う人材を迎え育てるというステージに差し掛かることになります。会社の命はずっと招来に向かって発展していくことを目指しても、生身の人間の命は有限であることを思えば、個人差はあるとはいっても現実に新陳代謝をはかる必要が出てきます。

そんな意味では、10年、20年という刻みは、じわじわとはいえ確実にバトンを引き継ぐ世代に向けてときが流れていることのバロメーターだといえるように思います。10年で起業段階の小括、20年で一定の安定期を迎え、30年で次代を担う人材を育て、40年で世代交代してまた新たな挑戦。こんな絵が一般的なのかもしれません。

私たちには誕生日を祝う習慣がありますが、家族や友人でなくてもお祝いすることはありますし、ビジネスの付き合いでも祝福されたらやはり嬉しいものです。一年間の評価が具体的にどうかではなく、年に一回のメモリアルを素直に祝い、また新たな一年の幸せを願い合うのは、やはり人間にとって一年一年と年輪を重ねることの意味は深いという共通認識があるからではないでしょうか。

人間だれしもが帯びる定量的な意識には、ある意味公正で普遍的な価値観が宿っている。このような考え方を根底におきながら、堂々と人とまみえ、またお互いのメモリアルを祝い合えるような歩みを目指していきたいですね。