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ナデック通信

2022年
3月号

「これからの時代の多様性について考えよう!」

ロシアによるウクライナ侵攻が大きな国際問題になっています。ネットを見てもテレビを付けても新聞を読んでも、毎日この話題ばかり。2月末の出来事だというのに、間違いなくネガティブな意味で今年の一番のニュースになるのが確実だと思えるのが、何とも虚しく切ない時代ですね。ある人がメディアでロシアとウクライナの関係を、別れた元彼氏と元彼女の関係にたとえていました。あまりに世俗的なたとえに過ぎるとは思いますが、ある意味ではいい得て妙なのかもしれません。思い入れやこだわりが強いから、どこまでも追いかけてストーカーにも発展してしまう。やがてはそれにもとどまらず、相手を物理的に傷つける暴力行為にまで及んでしまう。スト-カーの段階で十分犯罪ですが、ここまでエスカレートしてしまうと、その人自身が今まで培ってきた努力や成果もすべて消え去ってしまいますね。
このたとえが面白いなと思ったのは、元彼氏という男性になぞらえている点です。今の時代、男性だからこう、女性だからこうとは限らず、文字通り人それぞれです。でも、そんな中にあってやはり社会的に性差に基づく規範が色濃く残っていることも事実です。男性に求められる規範は、女性のそれと比べると、一般的に力強さ、たくましさ、シンプルな分かりやすさといった量的な要素が多いといえます。だからどうしても、周りと違う個性を発揮しようというよりは、金銭や地位、規模や利益といった数字的な業績・成果を求めがちです。今回のロシアの行為はさまざまな不確実な要素が積み重なっての結果かもしれませんが、プーチンの頭の中では相当な濃度で純化された男性性が良からぬ方向で爆発しているようにも思います。
 
これからは多様化、個性の時代といいます。でも、そもそも「個性」とは何なのでしょうか。人間は、生まれながらに誰ひとり同じ人はいません。当然のことながら、自分が個性を出せば、他人も違う個性を出します。そうだとすると、自分とは違う他人を認めるのが、本当の個性なのかもしれません。でも、世の中には必ずしもこのようには考えず、ひたすら自分の個性を磨くことを頑張る人もいます。そうすると、無意識のうちに他人が見えなくなるリスクがあります。自分とは明らかに違う個性が現れたとき、素直に受け止める度量が持てなくなります。その人は、自分の個性が発揮できるときはいいけど、時代が変わるとそうもいかなくなるのだと思います。よほどのカリスマでもなければ一人の強力な個性だけでは成り立たないし、天才的なカリスマですらメンバーの個性を伸ばす天才とは限りません。時代は、もう「勝ち負け」をはっきりさせるだけでない地点にきている気がします。
 

 
先日、東京の社労士の古川天さんと市川恵さんが主宰される「#社実研」でお話しさせていただきました。社労士による、社労士のためのコミュニティですが、お二人の人間的な魅力もあって、若手社労士の間でかなり話題になっているようです。最初いただいた切り口は「派遣法」でしたが、もっと面白くて今風なテーマということで、「多様性」の視点からお話ししました。いろいろと三人でお話ししていて、多様性をめぐる一番大きな軸は、「男女」だと確信しました。性差ほど違うものはないし、複雑なものはないし、また共存しなければならないものはないのです。今までどうしてもビジネスは男性中心の社会だったため、ともすれば女性が男性に合わせたり、男性的なものを目指すのが当たり前という雰囲気が主流でした。でも、私は「女性が男性から学び取り入れる」のと同じように、「男性が女性から学び取り入れる」のが当たり前だと思っています。
人間の出生プロセスについて、胎児に性別が割り当てられるメカニズムはかなり明らかになってきていて、命が誕生した瞬間はみんな「女」であることが知られています。真っすぐにプロセスを踏むと文字通り「女の子」になって生まれ、しばらくして男性ホルモンのシャワーを浴びてホルモンバランスが変わると「男の子」になって生まれます。本来スタンダードな性は女性であり、男性はいうなればマイナーチェンジ。この点についてはお二人にも共感していただき、ツイッターなどでも共感する意見を複数いただきました。一般に男性が多様性を認めたがらないのに対して、多様性に寛容な女性が多いのは、このあたりから来ているように思います。
 
昭和の時代の教育が性差をめぐる意識を醸成してきたことは間違いないと思いますが、いわゆる「男は仕事、女は家庭」という規範の歴史はそんなに古いものではありません。江戸時代のサラリーマンは武士だけだったという話は有名ですが、同時に庶民に専業主婦はいませんでした。私たちは無意識のうちにある規範を伝統とか常識だと思い込み、刷り込みによってそれがより強固なものになってきていると思います。パワハラ防止法の話題も多いですが、文化や習慣が間接的にはハラスメント土壌に影響しているという視点は、あまり意識されることがない気がします。法律だけで格差是正やハラスメント防止が実現することはなく、根っこにあるカルチャー自体を問いながら、進化していく必要があります。男女平等を目指していく本質は、意外にも男性社会への意識改革のアプローチにあるのかもしれません。
世の中、何でも多様であれば良いとは限らず、もとより規範とか秩序とか良識はとても重要です。ただ、良くも悪くも日本人、そして主な男性社会の担い手は、真面目すぎるのかもしれません。それは良くいえば真面目ですが、逆のいい方をすれば個性や文化の違いに無頓着であり、自分(たち)と異なる属性に対して無意識の偏見や違和感が根強いということでもあります。社労士という仕事をしていて思うのですが、単純に組織のルールだから従う義務があるという発想は、もうZ世代の人たちには通用しません。一歩先の未来志向を持つならば、相手が10だったら自分は15を目指す生き方一辺倒ではなく、相手とは違うことを前提に異なる個性を認め合って共存・共栄する道のりを目指していきたいものですね。